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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
素材のちから

2026.01.11:第7回 素材のちから

碓氷製糸工場
〜今に残る製糸工場〜

◾️ はじめに|「今もなお稼働を続ける製糸工場」を書かなければならない理由

これまで「素材のちから」では、 富岡製糸場と絹産業遺産群、そしてそのプラスアルファとして、 合計11の施設を巡りながら、日本の絹産業がどのように形づくられてきたのかを見てきました。

そこにあったのは、 人が考え、自然と向き合い、試行錯誤を重ねながら、 “素材”という見えない存在に向き合ってきた時間でした。

ただ、ここまで書いてきて、 ずっと心の中に引っかかっていたことがあります。

それは―― 「では、絹は“いま”どうなっているのか?」 という問いです。

歴史は語られても、 現在進行形の現場は、案外知られていません。

実は、日本で稼働している製糸工場は、 いまやたった2ヶ所しか残っていません。

ひとつは、 群馬県安中市にある 碓氷製糸工場。 もうひとつは、 山形県酒田市にある 松岡株式会社。

今回は、そのうち 実際に私自身が足を運び、空気を吸い、音を聞いた 碓氷製糸工場を取り上げます。

この違いは、思っている以上に大きいのです。

碓氷製糸工場

◾️ 2012年2月|碓氷製糸工場を訪れた日

碓氷製糸工場を訪れたのは、 2012年2月のことでした。 現在は「碓氷製糸株式会社」という社名ですが、訪れた際は「碓氷製糸農業協同組合」でした。 タイトル等一部「碓氷製糸工場」と表記しています。

当時勤めていた神田の生地問屋で、 年に一度の社員旅行があり、 その幹事を、なぜか群馬県民の私が務めることになりました。

研修目的も兼ねて、
・ 富岡市にあるグループ会社の生地倉庫
・ 富岡製糸場
・ 碓氷製糸場
・ 高崎市の日本絹の里
・・・を巡る、2泊3日の旅。

宿泊は草津と伊香保。 草津ではスキーまで楽しむ、なかなか欲張りな工程でした。

2月の群馬。 山間部ということもあり、 「寒いだろうな」とは思っていましたが、 実際は想像以上でした。

雪こそありませんでしたが、 空気が、キンと張り詰めている。

ところが―― 製糸場の中に一歩足を踏み入れた瞬間、 その印象が変わります。

煮繭(しゃけん)の窯から立ち上る湯気。 それだけで、ほっとするほどの温もりがありました。

「ああ、ここは“生きている工場だ”」

そんな感覚を、 身体で理解した瞬間でした。

碓氷製糸農業協同組合

◾️ 農家から集まる繭|すべては、ここから始まる

製糸場の仕事は、 とてもシンプルなところから始まります。

繭を、糸にする。

――ただ、それだけ。 ですが、そこに至るまでの道のりは、決して簡単ではありません。

農家から集められた繭は、 大きさも、形も、微妙に違います。

蚕は工業製品ではありません。 同じ品種であっても、 育った環境や餌の状態によって、 繭の質は変わります。

そのすべてを受け止め、 「糸」という均質な素材へと変えていく。

製糸とは、 ばらつきを整える仕事 だと言ってもいいかもしれません。

農家から集まる繭

◾️ 繭一粒の重み|数字で見ると、少し驚きます

ここで、少し数字の話を。

一つの繭から取れる糸の長さは、 およそ1,300〜1,500メートル。

かなり長いですよね。

ただし、 その糸は髪の毛よりもずっと細く、 そのままでは使えません。

数本を合わせ、 一本の生糸としてようやく利用されます。

では、どれくらい繭が必要かというと――

・ スカーフ1枚:約110個
・ 着物1反:約2,600〜3,000個

「一反で3000個近い繭?」

そう思った方、正常です。

糸にするだけでも、 とてつもない量の繭と、 手間と、集中力が必要なのです。

たくさんの繭

◾️ 製糸工程で本当に大変なこと|糸は、すぐ機嫌を損ねる

製糸工程で、 特に大変だと感じたのは、糸を“くっつかせない”ことでした。

生糸は、非常に繊細です。

少し温度が違うだけで、 少しテンションが変わるだけで、 すぐに絡み、くっつき、切れます。

そのため、
・ 煮繭の温度管理
・ 糸を引き出す速度
・ より戻し(撚りを整える工程)

これらを、 常に微調整し続けなければなりません。

機械はあります。 ですが、最終的に判断するのは人です。

「音が違う」 「今日は糸が硬い」

そんな、言葉にしづらい違和感を、 人が察知し、補正していく。

製糸場は、五感を総動員する現場でした。

温度管理

◾️ 品質管理|高価だからこそ、許されない妥協

絹は、高価な素材です。

だからこそ、 品質に対する要求は、非常に厳しい。

・ 太さの均一性
・ 光沢
・ 強度
・ 色味

どれかひとつ欠けても、 「国産生糸」としては成立しません。

碓氷製糸場では、 工程ごとにチェックが入り、 少しでも異常があれば、原因を遡ります。

大量生産ではありません。 効率優先でもありません。

「品質がすべて」

その姿勢が、 工場全体に染み込んでいました。

品質管理

◾️ 検品という最後の関門|最後まで、人の目

検品工程も、 決して楽な仕事ではありません。

長時間、 糸を見続ける。

光の反射、 わずかなムラ、 微妙な太さの違い。

機械検査が進んだ現代でも、 最終判断は人の目です。

「これが、最後の砦なんです」

そう語ってくださった言葉が、 今も印象に残っています。

検品

◾️ 純国産の絹は、どこへ行くのか

では、 こうして作られた純国産の絹は、 どこで使われているのでしょうか。

主な用途は、
・ 高級着物
・ 帯
・ 伝統工芸品
・ 舞台衣装
・ 一部の高級スカーフや小物

量は多くありません。 でも、確実に必要とされている場所があります。

それは、 代替がきかない分野です。

純国産の絹

◾️ 純国産の絹を残す意味|数字では測れない価値

海外産の絹は、 安く、大量に手に入ります。

それでも、 純国産の絹を残す意味は何か。

それは、 「技術を途切れさせない」 という一点に尽きます。

一度失われた技術は、 二度と同じ形では戻りません。

碓氷製糸場は、 技術の避難場所 のような存在なのだと思います。

価値

◾️ 碓氷製糸場という存在|最後ではなく、「続いている場所」

碓氷製糸場という存在|最後ではなく、「続いている場所」

**「続いている製糸場」**です。

続けることは、 守ることより、ずっと難しい。

採算、 人材、 需要。

そのすべてと向き合いながら、 今日も糸を引き続けています。

続いている場所

◾️ 最後に|これからも、糸をつないでほしい

見学を終えたとき、 心から思いました。

「どうか、この仕事が続きますように」

それは、 過去を守るためではなく、 未来のために。

最後に、 快く見学を受け入れてくださり、 丁寧に説明してくださった 碓氷製糸場の皆さまに、 改めて感謝を申し上げます。


◾️ 次回予告|現代の素材産業へ

絹は、 過去の素材ではありません。

問いは、 いまも続いています。

次回は、 「現代の素材産業に、絹は何を問いかけているのか」 この視点から、 素材のちからでは絹について、もう一度見つめ直します。

乞うご期待!・・・



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